レトルト工房 ~錬金術師の仕事場~

個人サークル「レトルト工房」のブログです。現代科学の最後尾を独走中です。

一日一星 No.0069「泉」『宇宙のあいさつ』

この話、壁から生えた腕より夫婦の方が怖い。泥棒に怯えている割に腕に対しては冷静なところがシュール。腕の方も攻撃的な行動は取らず、されるがまま。しかし次第に話が血生臭くなっていく。この腕が一体何だったのか、最後までわからない。不思議なホラー小説だった。
この作品に出てくる「血液を買い入れる会社」というのは血液銀行だろうか?日本では1950年代から1960年代半ばまで血液を買い取る会社があったそうだが、売血し過ぎで体を壊す人が続出して有償採血を禁止したらしい。星新一は作品の普遍性を保つためにできるだけ時事的な要素を作品から排除しているが、この場合は排除してしまうとストーリーが成り立たなくなるので入れざるを得なかったのだろう。

一日一星 No.0068「繁栄の花」『宇宙のあいさつ』

何やら現代(2021年)に起きているいろいろな事件を想起させられた。例えば以下のようなものだ。
・日本で開発した品種が海外で勝手に栽培されて売られている。何の対策もしていなかったため、他国にシェアを奪われている。
・大手種苗メーカーが、種をつけない品種を売っている。農業を続けるためには、その会社から毎年種子を買わなければならない。(宮崎駿の『シュナの旅』にもそんな設定があった。)
・某国から謎の種子の入った郵便物が送られてくる。
どれを見ても、バイオテクノロジーが社会に思わぬ影響を与え始めているように思える。

メール星は武器も軍備も持たない平和な星のように見えたが、実際にはバイオ兵器で武装した手強い敵だった。人類はまんまと罠にはまり、砲艦外交を展開したつもりがメール星に主導権を握られてしまう。結局外交や駆け引きの背後には、相手に言うことをきかせる何らかの力が必要なのだ。メール星人はこしゃくではあるが、なかなかスマートな商売人だと思う。

話とは直接関係無いが、表現で一部気になるところがあった。「かおりもまた美しかった。」というところだ。視覚や聴覚については「美しい景色」「美しいメロディ」のような形容ができるが、「美しいかおり」はかなり特異な表現だと思う。普通は「良いかおり」ではないだろうか?ついでに言えば、「美しい味」「美しい手触り」も違和感がある。「美しい」という形容詞は何故視覚、聴覚にしか使えないのだろうか。

一日一星 No.0067「救助」『宇宙のあいさつ』

極限的環境で何とか生き延びた遭難者。普通こういう場合は環境を改善して生き延びようとするものだが、この人は自分の意識を変えて環境に適応した。これは環境が改善しようにもできないくらい過酷だったからなのか、それとも彼の職業が神経科の医者だったからなのか?
助けに行った操縦士はミイラ取りがミイラになってしまったが、これは腕のいい医者に「治療」されたのか「洗脳」されたのか?正常と異常は環境に左右される相対的なものなのか?脳に物理的な変化があったのか?など、何か精神的に不安定になりそうな終わり方だと思った。

一日一星 No.0066「初雪」『宇宙のあいさつ』

ポストアポカリプス作品。
この二人は次の世界のアダムとイブになるのか?それとも核戦争で被爆してしまい、未来が無いのか?男は不満タラタラだが、女は生活を楽しんでいるようにさえ見える。年下のイケメン(「美しい眉の下の目」という描写にイケメン感がある)をゲットしたからか?
それにしても、この二人はデパートの地階倉庫にいたから助かったようだが、そうであれば似たような状況で生き残った人がそこそこいそうな気がする。生活物資は廃墟のそこここに残っているようなので(女が太っているという描写から、食料事情は良さそう)、こんな生活をしている人がお互いの存在を知らずに点々と暮らしているのかも知れない。

一日一星 No.0065「贈り主」『宇宙のあいさつ』

この話はひねりが二つあると思った。一つは醜い怪物の正体が人間のような姿をしていること
(この贈り主はどんな姿形をしているのだろうか?)、もう一つは空間的に遠くから贈られてきたのかと思っていたら、時間的に遠い未来から贈られてきたということ。一つ目は途中から何となく気がついたが、二つ目は最後まで気がつかなかった。この人間っぽい生物は、未来の人間なのか、それとも人間に似た別種の生き物(「一万年ほどむかしに栄えた古代生物」とあるが、地球上で栄えたのかどうかははっきりしない)なのだろうか。
作品の内容とは関係ないが、「手をこまねいて」という表現は元々「手をこまぬいて」だったらしい。意味も、「傍観する」から「待ち構える」に変わったそうだ。「手招き」という言葉に影響されたのだろうか?

一日一星 No.0064「運の悪い男」『宇宙のあいさつ』

本人の知らない間に問題が解決してしまっているが、この場合K氏が借金を返済したことになるのだろうか?それとも強盗が立て替えた分を請求されるのか?その場合誰から請求されるのか?盗まれた人?
ひとつの家のなかでほとんど全ての話が展開されるのは、星新一の作品によくあるパターンだ。『ノックの音が』のあとがきで、「出不精のせいかな。」と自己分析しているが、推理小説の密室トリック作品の影響などもあるのではないか。
「美点がそろうと、ろくなことがない。」というシニカルな文。相乗効果がマイナスに働くのか。
「小の虫を殺して大の虫を助ける、という格言があります。公益のためにはある程度、個人が犠牲になるのもやむをえないと、憲法でも認めているそうです」…憲法ってそんな事を認めてたのか…。

一日一星 No.0063「窓」『宇宙のあいさつ』

一読して大貫妙子の「メトロポリタン美術館」を思い出した。メトロポリタンは絵、こちらはテレビの中に閉じ込められるのだが。
作中に「ブラウン管」という表現があるが、これはこのまま残るのだろうか?星氏は作品に普遍性を持たせるため、「電話のダイヤルを回す」を「電話をかける」に直したりしていたそうだが。
日本のSFはアメリカより10年程遅れて始まったため、ちょうどテレビの普及期と重なったらしい。星作品にはテレビがよく出てくるが、当時のニューメディアであるテレビの魅力や近未来感(お茶の間に現れたSFガジェット的違和感も含む)が、どの作品にも表れている。水木しげるの「テレビくん」も同時期の作品ではないだろうか。
作中に登場する悪魔(と人間が呼ぶこともある、何らかの役割を任された存在)が、自分は好きでこんなことをやっているのではなく、社会に必要だから存在しているのだと言う。つまり必要悪だ。反社会的勢力がなくならないのも、それがないと社会が回らないからなくならないのだろう。
主人公の女性はいきなり土台になる側にまわされてしまったが、この女性が栄光を浴びる座につく可能性はなかったのだろうか?一回くらいチャンスがあってもいいようなものだが。それとも、謎の放送を見た時点で土台要員認定されていたのだろうか。