レトルト工房 ~錬金術師の仕事場~

個人サークル「レトルト工房」のブログです。現代科学の最後尾を独走中です。

一日一星 No.0049「リンゴ」『宇宙のあいさつ』

星新一作品によくあるバーが舞台の作品だが、女の子がいる店が舞台なのは珍しいのではないか。大抵は一人で飲んでいるとマスターなり隣の客なりが話しかけてくる展開なのだが。
夢にまつわる奇妙な話。毎晩リンゴをかじる
、夢は性欲と関係がある、手を出した女の夫に仕返しされる。現実の生活が夢に影響を与えたような、夢が現実を侵食したような、不思議な読後感が残った。

一日一星 No.0048「不景気」『宇宙のあいさつ』

悪くなることなど誰も望んでいないのに、何故か悪くなる景気。文明が成熟すると、購買意欲が飽和状態になり、経済が頭打ちになるのか。
「わたしだって、同じ本を二冊は買う気になれませんからね」とエス博士は言うが、オタクだったら同じ本を実用、保存用、布教用の三冊買う。オタクがマイノリティーからそこそこメジャーな位置まで存在感を高めてきたのは、この旺盛な購買力のためだろう。というか、それ以外の消費があまりに振るわないため相対的に目立ってしまったのかも知れないが。
「むだこそ文明の本質だよ。」「長生きなども最大のむだ」とアール氏は言う。そうなると、生まれてくることもむだなのではないだろうか?逆にむだでないものはなんなのだろうか?
この作品世界は活気に満ちたものになりそうだが、数倍になった購買意欲もいずれは頭打ちになり、経済が停滞しそうな感じでもある。そうなった場合、更に強力なカンフル剤を打って延命するのか、徐々に先細りになる未来を受け入れるのか、あるいは別な道を探すのか、現代社会が直面している問題と重なっているように思う。

一日一星 No.0047「悪人と善良な市民」『宇宙のあいさつ』

ショートショートとしては結構長いが、最後の一行以外は全て会話。すごく饒舌で過剰なくらい想像力が豊かな被害者(途中で立場が逆転するが)。こういう会話で構成された作品も、星作品の中には色々あるようだ(「町人たち」等)。
善良な市民が善良な市民というレッテルを利用して悪党に勝つ話。勝ち方はとても善良とは言えないが。
「悪党と善良な市民との間には、信用取引きが成立しない」というのは興味深い。これは逆に言うと、悪党同士、善良な市民同士では信用取引きが成立する可能性があるということではないか?悪人にも善人にもそれぞれの論理や行動様式があり、それらがマッチすれば信用取引きが成立するということだろうか。

一日一星 No.0046「宇宙の男たち」『宇宙のあいさつ』

冒頭の宇宙描写、
「操縦席の前にある窓の外には、静寂で透明な暗黒が限りなくひろがっていた。そして、その果てには数えきれぬ星々が散っていた。虹を凍らせて砕き、ちりばめたとも思えるほど、色とりどりの星々が。」
は、「気まぐれな星」と同様、星作品にしばしば登場する暗黒の宇宙と凍りついた(瞬かない)星のイメージだ。これらは米ソの宇宙開発競争で得られた知見が影響しているのだろう。
無理をしてでも人をからかったり、人にからかわれたりする必要があるのは、彼らの関係が文化人類学で言う冗談関係にあたるのだろうと思う。
この話、読み進めている途中まではいい話のように感じていたが、老人が通信ロケットに自分が働いて得たお金を入れると言ったあたりから何やら不穏な感じがしてきた。署名の無い遺書とお金が地球に届くと、それは自分の息子だとお金の所有権を主張する自称遺族が続出するのではないだろうか?老人はそれをわかった上でお金を入れたのか、それともそんな意図はなかったのか、よく分からない。この青年が孤児だと言うのもはたして本当なのか…。
最後の「さよなら」という終わり方は、「薄暗い星で」を思わせる。こういう淡々とした最期が、宇宙の男たちの流儀なのだろうか。

一日一星 No.0045「プレゼント」『ボッコちゃん』

送り主の意図とは違う反応が起きてしまったが、結果的に目的は達成したという話。「終わり良ければ全てよし」「結果オーライ」ということだが、これでうまく行くと勘違いしてしまったら、同じ状況が発生したときに同じ対応をとってしまい、思わぬ展開になるのではなかろうか?
この話のように、共通の敵ができると敵の敵は味方理論から利害関係者が結束するという話になり勝ちだが、実際どうだろうか?敵側に寝返ってライバルを攻撃するとか、敵をそそのかしてライバルを攻撃させるとか、自分は安全な位置にいてライバルを最前線に送り込むとか、結束とは程遠い状況になったりはしないのだろうか?
あと、この作品は、星新一の別の作品「探検隊」を思い起こさせる。こちらはプレゼントではなく置き去りで、原住民のことを考えて行動しているのではないのだが、主人、ペット、迷惑を被る原住民という関係が似ている。

一日一星 No.0044「被害」『ボッコちゃん』

金回りが良くなったのは何かを得たからだという思い込みから強盗に入り、貧乏神を背負い込んでしまった話。普通、先入観や思い込みは排除して物事を考えるべきだと思いがちだが、科学の実験で行う手順の「仮説、実験、考察」の流れで言うと、先入観や思い込みは「仮説」にあたり、仮説を立てないことには次のステップに進めないのではないか?(PDCAサイクルのPlanでもある。予測、見込み、見積りとも言える)ただ、この話では予測を誤り、思わぬ結果になっている。何かを得たのではなく、成功を妨げていたものを排除するという逆の発想を思いつかなかったのが敗因だと思う。
ところでこの「被害」というタイトルは、強盗に入られたエル氏の被害のことなのか、それとも貧乏神に取りつかれた泥棒の被害のことなのだろうか?

一日一星 No.0043「対策」『宇宙のあいさつ』

星新一の作品で、女性が主人公の作品は、あるにはあるがそんなに多くないと思う。「ボッコちゃん」「殺し屋ですのよ」「小さくて大きな事故」…と挙げてみたが、主要登場人物ではあっても主役かどうかは微妙な作品もあるかも知れない。女性で「N氏」のような記号的な名前の登場人物はいるだろうか?ちょっと思い出せないが、「N氏」というキャラクターが必ず男性というわけでもなく、女性の「N氏」もいるかも知れない。
星新一太宰治の作品を好んで読んでいたそうだが、一人称の女性を主人公にした作品を書くとき、太宰治を意識していただろうか?「セキストラ」より前の作品にそんな作品があったようだが。
この作品は、登場人物が騙したり騙されたりする系の作品、例えば「西部に生きる男」を思わせる。相手を引っかけるワナは、色仕掛け、泣き落とし、買収で、相手や場合に寄るだろうが、この話では買収が最強であり、不正調査株式会社にも蔓延してしまう。これは調査する側が人間である限り、無くならないと思う。